先日、蓼科仙境都市の記事にコメントいただいた方からメールが届きました
当時の関係者の方で、状況を教えてほしいという私の要望に応えていただいたのです
非常に詳細な内容だったので、是非ブログに掲載したいと申し出たところ快く了承してくださいました
以下、ほぼ原文で掲載します ※写真は追加しました
返信おそくなり失礼いたしました。
時は平成始め、バブル崩壊が地方にも刻一刻と近づく中
ある日1本の電話が「仙境都市」の存在と、ひと夏をあの閉鎖された空間で過ごすきっかけとなりました。
電話の相手は東京の企業からの依頼で、何でも蓼科にある会員制のリゾート地での仕事でした。
当時は今ほどセキュリティーや警戒心も低くネット環境などない時代でしたので
相手の企業が今まで手掛けた実績を鑑みて、確か一つ返事で仕事を受けたと思います。
私のいた会社は松本市近郊にあり仙境都市には車で2時間ほどかかるなどアクセスが悪いことなどから
泊まり込みでの作業スタートとなりました。
期間はとある夏の2ヶ月間。会員が多く滞在していれば延長もあり、という大変アバウトな契約内容でした。
スタッフの滞在費(ホテル代と食事代全て)は仙境都市側が全て賄うということでした。
さすがに晩酌代は自腹でしたが・・
・仙境都市へ出発
会社を朝8時に出発 途中大門峠の白樺湖で休憩し仙境都市を目指しました。
大河原峠周辺は当時でも珍しい未舗装のダートでしたので悪路から機材を守りながらの
慎重な運転で通り抜けた記憶があります。
大河原峠の山小屋は確か老夫婦が切り盛りしていました。
何処へ行くのか聞かれたので仙境都市でしばらく働くと言ったところ
老夫婦は、あそこはどんなところなのか関係者でなければ中に入れないから中の様子も建物など
私らには一切判らないね・・とだけ聞かされました。
入り口の「仙境都市」の看板にたどり着くと2人の警備員が現れこちらが説明すると
私たちが来ることを把握していたのか、いきなり低姿勢な対応で門を後にしました。
警備員は警察とよく似た制服でパトカーもその物でした。
仙境都市の会員は乗り入れる車に葉っを形どったまるで家紋のようなステッカーを
フロントの目に付く場所に張っていれば入門はフリーパスと聞きで翌日私たちにも支給されました。
・仙境都市の内部
仙境都市では其々の会員にランクがあるのか知りませんが知る限りでは
1.一般のホテルの様な利用
2.ホテルの部屋を分譲マンションのように会員が購入
3.戸建てのいわゆるログハウス的な分譲の建物で庭などプライベートスペースがある
(2、3どちらが高いのかは不明)
それら全ての部屋には仙境都市のケーブルテレビ網が張り巡らされていました。(数千ヶ所)
中でも山の斜面に建てられた眺望が素晴らしいアソシエイツのセンターハウス的な建物は
高級レストランやリラクゼーション的な施設があり秘境のオアシス的な存在でした。
また、別の建物にはヨガ教室やエアロビクス、絵画教室、ハイキングなど他にもいろいろありましたが
インストラクターやスタッフは東京から派遣されていたようです。
仙境都市のエリア内には幾つかのレストランが点在し焼き肉系、ラーメン、
テントの中で食べるモンゴル料理など様々あり高級レストランで飽きた人たちが利用したのでしょう。
もちろん自炊も可能で食材はエリア内にあるコンビニを兼ねたお店で調達できますが値段も良かった気がします。
会員の平均滞在日数はバラバラで週末のみの滞在から1週間以上仙境都市で過ごす会員もいたことでしょう。
我々業者が宿泊していた建物は車で7~8分の場所にあり冬場のスキーシーズンの営業に使っていたものらしく
入り口にはスキー板を固定する器具が並んでいました。
・仙境都市オーナー
毎週、週の後半になると仙境都市の社員の人たちがピリピリしながら、まるで最高の会員を接待するかのように対応している感じでした。
オーナーは見た目50歳前後、今元気なら80歳ぐらいになるのでしょうか・・・ポロシャツ姿の中肉中背男性でした。
私もいろいろな実業家の方たちとお会いする機会がありましたが仙境都市のオーナーほど強烈な印象はありませんでした。
いつもオーナーは夫人を連れ添い会員の中に混じって滞在していました。夫人は見た目40歳前後の色気のある熟女でした。
それと余談ですがオーナーはエビフライが大好物だそうでレストランにはいつも大きな上物のエビがないと大変だったようです。
・あのころから閉鎖されたリゾート地
令和のこの時代 現実に廃墟となった仙境都市は廃墟ファンの間でも浸透しているスポットだと思います。
当時30歳だった私は主に現場に出向していた駆け出し4年目でした。
ちょうどあの時代、山梨県の上九一色村というところに一つの国家を建国しようとした者たちが到底法律など
守るはずもない行為を繰り返しながらを信者らから膨大な資金を集めながら新興宗教を拡大していきました。
私は仕事柄関連施設に行く機会があり、当時の信者らと会話する機会や挙句の果て入信を良く進められたものです。
広大な施設に建設されたサティアンと呼ばれた建物の一帯は外部から一切閉鎖し外とは別の世界を作ることでした。
仙境都市もそれと同じとは言いませんが、もしあのままバブルが続いて富裕層の会員が定着していたらどうなっていたでしょう・・・
私があの夏施設内で一度も目にしなかったものは警察関係者でした。
普通ならあれだけの広い場所に所轄のパトカーが走ることは珍しくなく逆を言えば仙境都市がよっぽど長野県警に信頼されていたのか
オーナーの力だったのはわかりませんが、いまだ不思議な出来事でした。
仕事も終盤になり8月のお盆を過ぎた頃でした、あそこには沢山の大学生のアルバイトも働いていましたので
毎日学生の声を耳にしましたがある日風のうわさでアルバイトの疾走・・行方不明・・
噂話で会ってほしいと思いましたがその後が気になったものでした。
あれだけ閉鎖された空間で何が起きても不思議ではないですが、そんなアルバイトの話を当時聞いた時は
背筋がぞくっとしたことを今でも覚えています。
・最後に
お終いまで私の「仙境都市・伝説」にお付き合いいただきありがとうございました。
あれから30年近くが過ぎ私も当時勤めていた会社から別の会社に就職し今年の秋には還暦を迎えます。
元々、信州出身ですので退職後の選択肢は比較的自由人ですので趣味のオートバイで自然豊かで秘境の多い
長野県に戻ることもいいかもしれませんね。
しかし今あの周辺(仙境都市)は廃墟化が進んで環境の悪化も懸念されます。
今でもゲレンデを歩くと当時の会員らが打ちっ放しで飛ばしたゴルフボール(何万個出てくるでしょうか)が
土の中に埋まっていることでしょう。
あの場所の標高は2000メートルほどあり雲海が広がる朝は、まるで天空の城のような素晴らしい絶景を見ることが出来るなど
あそこに仙境都市を建設する切っ掛けにもなったことでしょう。
今後あの自然が更に破壊されることのないよう祈りたいものです。
以上、つたない昔話しでしたがトリKさまが、またあそこに行かれました時は拝読させていただきます。
尚、長野県(全域)、岐阜県(飛騨地方)等は仕事やプライベート(バイク、車)で何度も行ってますので
私に判ることでしたらご連絡ください。
それでは失礼いたしました。
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