先日、蓼科仙境都市の記事にコメントいただいた方からメールが届きました
当時の関係者の方で、状況を教えてほしいという私の要望に応えていただいたのです
非常に詳細な内容だったので、是非ブログに掲載したいと申し出たところ快く了承してくださいました
以下、ほぼ原文で掲載します ※写真は追加しました
返信おそくなり失礼いたしました。
時は平成始め、バブル崩壊が地方にも刻一刻と近づく中
ある日1本の電話が「仙境都市」の存在と、ひと夏をあの閉鎖された空間で過ごすきっかけとなりました。
電話の相手は東京の企業からの依頼で、何でも蓼科にある会員制のリゾート地での仕事でした。
当時は今ほどセキュリティーや警戒心も低くネット環境などない時代でしたので
相手の企業が今まで手掛けた実績を鑑みて、確か一つ返事で仕事を受けたと思います。
私のいた会社は松本市近郊にあり仙境都市には車で2時間ほどかかるなどアクセスが悪いことなどから
泊まり込みでの作業スタートとなりました。
期間はとある夏の2ヶ月間。会員が多く滞在していれば延長もあり、という大変アバウトな契約内容でした。
スタッフの滞在費(ホテル代と食事代全て)は仙境都市側が全て賄うということでした。
さすがに晩酌代は自腹でしたが・・
・仙境都市へ出発
会社を朝8時に出発 途中大門峠の白樺湖で休憩し仙境都市を目指しました。
大河原峠周辺は当時でも珍しい未舗装のダートでしたので悪路から機材を守りながらの
慎重な運転で通り抜けた記憶があります。
大河原峠の山小屋は確か老夫婦が切り盛りしていました。
何処へ行くのか聞かれたので仙境都市でしばらく働くと言ったところ
老夫婦は、あそこはどんなところなのか関係者でなければ中に入れないから中の様子も建物など
私らには一切判らないね・・とだけ聞かされました。
入り口の「仙境都市」の看板にたどり着くと2人の警備員が現れこちらが説明すると
私たちが来ることを把握していたのか、いきなり低姿勢な対応で門を後にしました。
警備員は警察とよく似た制服でパトカーもその物でした。
仙境都市の会員は乗り入れる車に葉っを形どったまるで家紋のようなステッカーを
フロントの目に付く場所に張っていれば入門はフリーパスと聞きで翌日私たちにも支給されました。
・仙境都市の内部
仙境都市では其々の会員にランクがあるのか知りませんが知る限りでは
1.一般のホテルの様な利用
2.ホテルの部屋を分譲マンションのように会員が購入
3.戸建てのいわゆるログハウス的な分譲の建物で庭などプライベートスペースがある
(2、3どちらが高いのかは不明)
それら全ての部屋には仙境都市のケーブルテレビ網が張り巡らされていました。(数千ヶ所)
中でも山の斜面に建てられた眺望が素晴らしいアソシエイツのセンターハウス的な建物は
高級レストランやリラクゼーション的な施設があり秘境のオアシス的な存在でした。
また、別の建物にはヨガ教室やエアロビクス、絵画教室、ハイキングなど他にもいろいろありましたが
インストラクターやスタッフは東京から派遣されていたようです。
仙境都市のエリア内には幾つかのレストランが点在し焼き肉系、ラーメン、
テントの中で食べるモンゴル料理など様々あり高級レストランで飽きた人たちが利用したのでしょう。
もちろん自炊も可能で食材はエリア内にあるコンビニを兼ねたお店で調達できますが値段も良かった気がします。
会員の平均滞在日数はバラバラで週末のみの滞在から1週間以上仙境都市で過ごす会員もいたことでしょう。
我々業者が宿泊していた建物は車で7~8分の場所にあり冬場のスキーシーズンの営業に使っていたものらしく
入り口にはスキー板を固定する器具が並んでいました。
・仙境都市オーナー
毎週、週の後半になると仙境都市の社員の人たちがピリピリしながら、まるで最高の会員を接待するかのように対応している感じでした。
オーナーは見た目50歳前後、今元気なら80歳ぐらいになるのでしょうか・・・ポロシャツ姿の中肉中背男性でした。
私もいろいろな実業家の方たちとお会いする機会がありましたが仙境都市のオーナーほど強烈な印象はありませんでした。
いつもオーナーは夫人を連れ添い会員の中に混じって滞在していました。夫人は見た目40歳前後の色気のある熟女でした。
それと余談ですがオーナーはエビフライが大好物だそうでレストランにはいつも大きな上物のエビがないと大変だったようです。
・あのころから閉鎖されたリゾート地
令和のこの時代 現実に廃墟となった仙境都市は廃墟ファンの間でも浸透しているスポットだと思います。
当時30歳だった私は主に現場に出向していた駆け出し4年目でした。
ちょうどあの時代、山梨県の上九一色村というところに一つの国家を建国しようとした者たちが到底法律など
守るはずもない行為を繰り返しながらを信者らから膨大な資金を集めながら新興宗教を拡大していきました。
私は仕事柄関連施設に行く機会があり、当時の信者らと会話する機会や挙句の果て入信を良く進められたものです。
広大な施設に建設されたサティアンと呼ばれた建物の一帯は外部から一切閉鎖し外とは別の世界を作ることでした。
仙境都市もそれと同じとは言いませんが、もしあのままバブルが続いて富裕層の会員が定着していたらどうなっていたでしょう・・・
私があの夏施設内で一度も目にしなかったものは警察関係者でした。
普通ならあれだけの広い場所に所轄のパトカーが走ることは珍しくなく逆を言えば仙境都市がよっぽど長野県警に信頼されていたのか
オーナーの力だったのはわかりませんが、いまだ不思議な出来事でした。
仕事も終盤になり8月のお盆を過ぎた頃でした、あそこには沢山の大学生のアルバイトも働いていましたので
毎日学生の声を耳にしましたがある日風のうわさでアルバイトの疾走・・行方不明・・
噂話で会ってほしいと思いましたがその後が気になったものでした。
あれだけ閉鎖された空間で何が起きても不思議ではないですが、そんなアルバイトの話を当時聞いた時は
背筋がぞくっとしたことを今でも覚えています。
・最後に
お終いまで私の「仙境都市・伝説」にお付き合いいただきありがとうございました。
あれから30年近くが過ぎ私も当時勤めていた会社から別の会社に就職し今年の秋には還暦を迎えます。
元々、信州出身ですので退職後の選択肢は比較的自由人ですので趣味のオートバイで自然豊かで秘境の多い
長野県に戻ることもいいかもしれませんね。
しかし今あの周辺(仙境都市)は廃墟化が進んで環境の悪化も懸念されます。
今でもゲレンデを歩くと当時の会員らが打ちっ放しで飛ばしたゴルフボール(何万個出てくるでしょうか)が
土の中に埋まっていることでしょう。
あの場所の標高は2000メートルほどあり雲海が広がる朝は、まるで天空の城のような素晴らしい絶景を見ることが出来るなど
あそこに仙境都市を建設する切っ掛けにもなったことでしょう。
今後あの自然が更に破壊されることのないよう祈りたいものです。
以上、つたない昔話しでしたがトリKさまが、またあそこに行かれました時は拝読させていただきます。
尚、長野県(全域)、岐阜県(飛騨地方)等は仕事やプライベート(バイク、車)で何度も行ってますので
私に判ることでしたらご連絡ください。
それでは失礼いたしました。
[関連記事]
午後のサスペンス ドラマに出てきそうな内容で、興味深く読ませていただきました。
(エビフライが謎解きのヒントになったりしてw)
それにしましても「時は平成始め、・・・と近く中」、この方小説家なのでしょうかねw
人里離れた雲の上の別荘地、なんて聞こえはいいですが、あまり離れすぎると有事の際に
困ってしまいます。ただ大河原峠とトキンの岩からの眺めは絶景です!
本題から逸れますが、蓼科スカイラインは立科町側の崩落で通り抜け不可なんですよね。
ビーナスラインへ行く時のお気に入りルートなのですが・・・。
ムンクさん
文章は個人情報を守るために私が一部加筆しています
ですが、サブタイトルを含め”ほぼ”原文です
メールをいただいた時には正直驚きました
こんなにしっかりした構成で書いてくださるとは思いもしませんでしたので。
それでブログに載せようと考えたのです
スカイラインが通行止め!?崩落!?
あんなに広い道が崩落で通行止めとは、よほど酷い崩れ方なんでしょうか
蓼科スカイラインからビーナス、いいですね〜
メルヘン街道で戻れますしね。R299は国道の中でも好きな部類の道です
トランポ使いになってから、必ず戻ることを考えてしまいます
お疲れ様です。
トリK様が掲載したくなる意味が良く分かりました。
素晴らしい文章に感動致しました。拍手!!
謎が解けてスッキリしました。
ザビエルさん、まいどです
素晴らしいでしょ?小説みたいでしょ?
内容はすべて事実なんですよ〜(^o^)
写真を撮ったのがこの体験談の30年後・・
私はそこにロマンを感じました
様はやめてください。知らない仲じゃないんですから(^_^;)
はじめまして、以前から拝見させて頂いております。鹿曲川林道と仙境都市の話はとても興味深く楽しめました。
祖父の故郷から近いこともあり、2017年に初めて訪れた場所です。40歳過ぎるまで林道や未舗装路に全く興味がなかったのですが、「一丁行ってみるか」と初めて訪れたところでもあります。
5月の連休、単独行動なので最悪捨てて帰れるように(笑)チョイノリにブロックタイヤと少々の対策&装備で、下から登りました。仙境都市まで残り3キロからきつくなりましたが(ひざ下までの残雪あり)最後の滝?の残雪吹き溜まりで断念。。。以降林道の虜に。。。
2019年8月、ポッケに乗った仲間とリベンジアタック。14インチに魔改造したチョイノリと2台で、念願の完抜きしました。
ソロだとキツイ崩落個所がありますが(残り2キロくらいの箇所)徐々に馴らされてきているようなので、夏ならばトリKさんのポッケで行けると思いますよ♪(半分押しになりますが)8月でも明方の気温14度とかなので避暑に最適です。
えせさん、はじめまして
コメントありがとうございます
私はここにすっかり魅了されてしまいました^_^
あの大規模崩落をバイクで越えたのでしょうか。私が見た時には自転車が精一杯だと思いました
かなり均されているのしれませんね
ポッケは手と尻が痺れるので参ってますが、いつかまた行くと思います
チョイノリだけかどうか分かりませんが、これからも林道を楽しんでください
ご返信嬉しく思います。
初めての林道、何もわからず「チャリンコ」が行けるなら大丈夫なはず・・・と、今思うと無謀なことを(笑)
大規模崩落の手前から残雪で苦労し、ふと目の前を見上げたらグラグラの岩だらけ(2017年頃はまだ土で埋まっていませんでした)
↑30分ほど声出しながら悩んで行ったり来たり。。。ネタとしてちょっと岩に乗り上げつつ、「映える」画像を取るつもりが、、、
「前輪この岩に乗せて~後輪をこの間に挟みつつ~」とかモジモジしてたら抜けられました。
チョイノリは軽いので(39キロ)出来る技ですw
崩落を抜けた瞬間「どうだこの野郎っ、ざまーみろ!!!」と一人で絶叫してました(照)
某廃道サイトでこの林道のことを知ったのですが、2016年の時点では崩落に触れていなかったので割とここ数年の崩落なのかもしれません。
山から下りてくる途中、地元の古老3人組(イワナ釣りらしい)と会話しながら情報を得たのですが、
佐久市と合併するまでは、毎年春になると「ブル」で道を馴らしていたとのことでした。
あと、3日前に熊いたよって。。。
「下でばったり出くわしたから、脅かしたら上に逃げた。上のほうで出くわすと、下に逃げすに(逃げにくいから)襲ってくるからね♪」
↑と、脅かされましてナニヨリデス。
この出来事をお客さんに話していたら、ポッケで一緒に付き添ってくれる仲間ができまして(本来はKTM乗り)
2019年の1月に2人で挑戦。←長野は寒いけれど積雪はそれほどでもないので
チョイノリは対策として14インチ化「鹿曲スペシャル」として局地戦闘機にしました。
が、パワーが無いのでほぼ足漕ぎ&押し。雪をナメてます
寒すぎて全く固まらないサラサラ雪と積雪量はそれほどでもありませんでしたが、気温が氷点下。
分かっていたはずなのですが、走ると手が痛くなり止まっていると足が痛くなり、リュックに入れたカップラーメン用の水がカッチカチ。
なんとか崩落個所まで行きましたが撤退。あ、3輪ATV的なタイヤ跡が作業小屋廃墟までありました。どこにでも「好きモノ」は居るなぁ
一度は完抜きしようと、8月最終日にリベンジ。夏&2人ならば余裕でした(半分嘘)
仙境都市から女神湖方面で林道巡りしましたが、トリKさんの痕跡も確認してきました(笑)
チョイノリはリアリジッドなので、道中の林道で携帯スコップと空気入れを落としまして~
誰か発見したら、生暖かくスルーしてくれることを願っていますぅ
↑なのに性懲りもなく、2020年の3月にパワーを欲して魔改造スズキモレ(ヤクルト配達御用達)で再アタック。私が月曜休みなので・・・
この時は作業小屋廃墟で引き返しましたが、鹿曲川林道入り口から分かれる作業道?林道??にも行きました。
見晴らしは良くないですが、鳥居のある中間地点辺りまでは行けました。その先はどのルートも洗堀崩壊してました。
「そろそろ一度きちんとした乗り物で、何がチョイノリに必要か確かめたほうが・・・」とのアドバイスが入り?
ヤマハのTT250Rが手元に来たので、行動範囲が広がりそうです。トリKさんが訪れた場所で行きたいところも多数あります。
更新を楽しみにしていますので、これからもお体には気を付けて探索してください。
長文失礼いたしました。
えせさん
何度も行かれたのですね。状況は次第に悪化したようです
横堰林道〜大門東も行かれたのでしょう。あの道は面白かったです(^^)
TT250Rでどんどん林道へ出かけてくださいね(^_^)/~
はじめまして。
興味しんしんで読みました。
後半部疾走事件のあたり、かなりぼかしたかな、と感じました。
中身が知りたい好奇心がうずきます。
それにしても、丁寧な文体構成で、
林道のその先に、もすばらしいですね。
読む楽しみが増えました。
あきらさん、はじめまして
事件についてはあまり詳細に語ると
問題があるとご判断されたのかもしれませんね
実はこの方の職業も書かれていたのですが
筆者と相談して伏せました
ここへ行ってみれば分かりますが、
いろいろな業種の多くの方が敷地内で働いていたとは
とても考えられないぐらい静かなのです
また、いわゆるセレブな方々が集っていたとは思えない荒廃ぶりです
ご興味があれば一度は行かれる事をお薦めします。形が残っているうちに
近くに親の小屋があります。
先週女神湖から大河原峠を目指しましたが
7号目登山口で通行止めでした。
次回スカイラインから
仙郷都市目指します。
訴訟倒産が検索でヒットしますね。
ユーチューブも、少な目に感じました。
オーナーの経済分析レポートもなかなかのものでしたので面白い人だったのでしょう。
ユートピアン=変態=酒池肉林、、=アウトノミアの夢??を想像してドキドキしてます。
色っぽい熟女エビフライ、すばらしいエピソードでした。
あきらさん
蓼科スカイラインは大河原峠の西が通行止めのようですね
どの程度の通行止めか分かりませんが、
女神湖から仙境都市へは苦労しそうです
近くに拠点(小屋?)があるのは良いですね(^^)
林道ネタでなくて恐縮ですが蓼科スカイライン、2週間前に様子見に行きましたら一応抜けられました。
法面崩落が1箇所あり土砂が路面を覆っていますがCB400で下腹こすりながらも
通過できました。ただ妙だなと思ったのは全線通して路面に流失した土砂はきれいに
片付けられているのに、ここだけあえてそのままにしてある様に見えます。
他に路肩のほんの一部が崩れているところが2ヶ所ほどあるので、おそらくはそこが理由で
通行止めにしてあると思われます。
一点、大河原峠側バリケードはやや重いので、引きずる時後ろに冷ややかな視線を感じますが、
そこは気にせず自分の世界に入ってバリケードを戻した後、速やかに走り去ればOKです!
ムンクさん
恐縮なんてとんでもない!
通行止めだけど実は・・ みたいな道路情報は大歓迎ですので、
これからもよろしくお願いします(^o^)
気を使っていただいているようですが、別にどの記事でも構いません
CBで行けるなら大概の2輪はOKですね
”路肩のほんの一部”なら4輪も行けそうですね
おっしゃる通り、通行止めの理由は土砂よりも路肩の欠損でしょうね
バリケードは単管パイプのA型と予想しますが、
ある程度大きいと引きずるときに以外と大きな音がしますね
お陰さまで関係者以外の視線にはすっかり慣れましたので大丈夫です(^^)
目が合ってしまった時は微笑み返しで乗り切ります
実は車で諏訪から蓼科〜みかぼ林道で群馬入りを計画しているのですが、
4輪はやはり無理でしょうか?
メルヘン街道を行くつもりでしたが、蓼科スカイラインが行けるなら通りたいですね
みかぼはやっぱり厳しいかなー
ダメなら途中でバイクを降ろして、ちょっと走ってまた積んで、
を繰り返すかな?と考えています
アドバイスいただけると嬉しいです
目的地はやっぱり何度でも行きたい秋鹿大影〜万沢です!
(万沢は通行止めらしいですが)
トリKさん、ありがとうございます。
諏訪湖の南側と辰野町は良い林道ありますからね~。
崩落土砂の箇所はジムニーで腕に覚えある人であれば何とかいけるかも、
という感じなので、それ以外の4輪は避けたほうがよろしいです。
ここは自転車やハイカーが多く、通行止めで安心しているところにいきなりバイクで
現れることになるので、バイクで行く際も細心の注意が必要です。
ちなみにメルヘン街道からお越しの場合、ここ(36.081222/138.384433)から八千穂レイク
への道が国道のショートカットになっております。
みかぼをご所望のようで! 計画はいつ頃実行のご予定でしょうか?
アクセスについて長野側からはR254しか通れないのが難点です。
下仁田からみかぼへは通常二通り、塩之沢峠(36.121237 138.740373)から、または
舗装の七久保橋倉林道(36.154786 138.776422)ですが、前者は遠回り かつ みかぼの
展望台付近通行止め工事が未完了かもしれない、後者は路盤流失通行止め(昨年末時点)です。
よって道の駅「甘楽」から県46でここ(36.190382 138.882337)から林道芳の元線に入り、
焙烙峠→県177→県46で入口(36.146816 138.872530)まで、というのが現状無難です。
秋鹿大影への通りすがりに寄るにはやや厳しいかもしれませんね。
七久保橋倉林道は今度様子見に行こうと思います。
みかぼダート区間は、36.140786 138.781142から36.146816 138.872530までです。
他案として道の駅「みょうぎ」から、中之岳林道(36.269241 138.730931)で妙義湖まで
抜けまして、しばしリエゾンの後ここ(36.361120 138.716029)から林道水谷山の神線へ、
36.376083 138.721694で左折、36.383304 138.709978 辺りで中川林道樽尾支線へ接続し、
36.386552 138.714184経由、終点36.370641 138.760575 で折り返し、水谷山の神線入口
まで戻ってくるルートは楽しめると思います。
みかぼにしろみょうぎにしろ、行かれる際は直前に現地確認致しますので、ご遠慮なくお申し付けくださいませw
ところで万沢林道、通れるようです↓
https://ameblo.jp/bennichiwaunchan/entry-12620268839.html
雨見林道と南ヶ谷林道(36.743088/138.905210)と
大峰林道(36.714712/138.935702 36.734508/138.925273)も良いですよ。
四万川ダムの周回路も楽しいです。
ムンクさん
非常に詳細なご説明をありがとうございます。面倒かけます(^_^;)
とりあえず蓼科スカは止めておきます
みかぼですが、
パータンが多すぎるのでどれにするか迷いますね。じっくり検討したいと思います
因みに、スーパー林道本線で4輪で確実に通れないのはどこになりますか?
塩之沢峠から大仁田ダム、さらに西方向の県93の入り口(36.161640/138.648491)までは通れませんか?
みかぼの西側エリアですが、
区間① 36.161508 138.648877~36.135015 138.697329
・舗装だが細いので対向要注意。が、大仁田ダムから西側区間にて通行止めが
まだ解除されていないと思われる。
区間② 36.135015 138.697329~36.125397 138.724988
・ダートエリア(やや荒れ)。トンネル付近の崩落により通り抜け不可。
それ以前から四輪は4駆RVでないとキツイ。
区間③ 36.125397 138.724988~36.122225 138.736682
・舗装だが路面うねりがひどく四輪はキツイ。
区間④ 36.122225 138.736682~36.140717 138.780885
・広々舗装で離合楽々。だが展望台36.123265 138.771722付近の路肩崩落工事が
未完了らしく四輪不可(二輪は工事休みなら通行可)
ということで結局八倉峠から西側は四輪不可な状況と思われますが最近現地確認していないので
ご希望であれば確認してきますよ!
ただ長野側からの県93田口峠はまだ通行止めで、奥の手の林道大上線36.126021/138.593774も
崩壊しているので、西側からは厳しいかと・・・。
展望台付近の工事完了でも車で塩之沢峠までの旧道とそこから八倉峠までを考えると
かなり骨がおれるかと思います。
ポイントは区間②がバイクで通れるか?だと思います。ここが一番楽しいですしw
道の駅「なんもく」から大仁田ダムを目指し、塩之沢峠→八倉峠からみかぼの真骨頂
フラットダートを36.146833/138.872466まで楽しみ、折り返してくるルートです。
おまけとして道の駅北側に開設中の奥山六車林道の様子を見るのもよいかと。
ちなみに参考までに南側 R299の36.090031/138.802750から八倉峠まで上がれば
峠の空き地にデポできますが、R299十石峠も県124ぶどう峠も通れないのですよね。
ムンクさん
八倉峠から西側はたとえ工事していなくてもキツそう
他ルートも含めて西から入るのは無理なのですね。よく分かりました
R299から林道大上線を考えていました。見抜かれていますね
これもダメですか〜
とにかく車では入る考えは忘れて、
推奨ルートの、大仁田ダム〜山の神の丘展望台を折り返しで行きたいと思います
それにしても、十石峠もぶどう峠も通れないなんて。
私的には、長野〜群馬の安心主要ルートだったのですが、
こんなことあるんですね
さすがムンクさん、多彩なルート作りで凄いです
観光ガイドが出来るのでは?(^^)
アドバイスありがとうございました。
展望台から先は夜なら車でも通れました。
大仁田ダム方面に向かう分かれ道には
簡単なゲート有りでしたよー。
くーたんさん
これはいつ頃の話しでしょうか?
林道は生ものなので時期がとても重要です
車でもなんとかなったゲートという意味でいいですね?
林道大上線をご存知とは!一応参考程度に書きましたがトリKさんの地図を読み抜く
能力に脱帽です。5月に金ヶ岳へ行く際に様子見に行きまして、大崩落をなんもく村自然公園内
通ることでやり過ごし大上峠まで幾多の崩落を乗り越えて、長野側を順調に下り通り抜けの
希望高まる矢先、R299入口付近壊滅的路盤流出にてジエンドとなりましたorz
下仁田まで延々と引き返すなかこれほどの脱力感を覚えたのは久しぶりでしたw
超奥の手として余地峠越えなんてのもありますが、林道浪漫の健さんが
チャリで抜けているのでセローでの走破をもくろんでおります。
大仁田ダムから区間②をアタックされるということでしたら直前に現地確認しますよ。
通り抜け不可で引き返すと結構ガソリン使いますからね。コメント欄からでもご連絡ください。
通行止め以前から、十石峠の最近万年閉鎖のせいでぶどう峠に車が集中していたので群馬側の
あの細い道を車で通るのは細心の注意が必要ですね。
ムンクさん
大上線もダメかー
最後の最後に引き返す状況はよく分かります。しばらくぼーっと立ちすくみますよね
余地峠は破線だったのでそもそも無理だと思いこんでいましたが
なんと、行けるのですね
これはこの辺りには行くなっていう意味でしょうかね(^_^;)
みかぼへ行く際はよろしくお願いします
こんにちは。わたしは蓼科仙境都市の会員でした。祖母が、ですが。毎年夏に1週間、家族で滞在していました。あまりにも懐かしく、幸せな記憶です。元総理、著名人、誰もが知る歌手やエンターテイナーなど、多くお見かけしました。当時30年ほど前は小学生でしたが、その後18才のころ、アルバイトもしました。アルバイトは会員と言うこともあり、多分裏事情までは見ることはできなかったと思いますが、高待遇でおいしいお仕事でした笑。
今現在は荒れ果てているとのことで、非常に悲しく残念です。それでも現状を知ることができ、とても感謝しています。
澄んだ空気と雲海、たくさんのウサギたちやハンモック、勾玉の通貨、囲炉裏を囲んでの夕食に、エアロビクスやトランポリン。人生で一番幸せな時を過ごさせていただいたのが蓼科仙境都市です。
思い出させていただいてありがとうございました。
あやさん、はじめまして
ありがとうございます。元会員の方からコメントいただけるとは嬉しいです
実際に滞在されて、今でも人生で一番幸せだったと思えるほどの楽園だったのですね
まさか首相まで滞在するとは、オーナーの人脈に驚くばかりです
現在はすっかり荒廃しているので、当時のきらびやかな様子をうかがうことはできませんが、
先の関係者やあやさんの話から想像を膨らませています
ウサギが放し飼い? ハンモック使い放題? 独自の通貨が流通!?
楽しそう〜
それにしても仙境都市・・
林道目当てで見つけたところから意外な展開を見せてくれます
もし覚えてられたら、アルバイトの経験談などお聞きかせくださいね(^_^)/~
まさに楽園、でした。子供だったので、楽しい記憶しかないのは両親と祖母に感謝です。
ウサギの牧場があり、人参をあげたり抱っこしたり、半日以上そこにいることもありました。隣にはアスレチックがあり、木々にはたくさんのハンモックが備え付けられていました。
それぞれの支払いは勾玉の首飾りから、勾玉を金額に応じて支払っていましたが、数年後には廃止され、カードになった記憶があります。持ち帰った勾玉が実家の何処かにはまだあると思います。
プールやサウナもありました。
アルバイトは、初代社長のご子息、2代目の社長の下で働かせていただいた記憶です。いい意味で、時代もあり、おおらかな経営でした笑。
年末にでも実家に帰った際には、家族と思い出話をして、アルバムやビデオを見直したいと思います。
あやさん
再度のコメントありがとうございます。
なるほど、ウサギは牧場飼いでしたか
当時はまさにバブル絶頂期、なんでもありだったでしょうね
経営が二代に渡っているとは知りませんでした
思い出話で楽しい年末になるといいですね
当時の写真が出てきたらこの記事に載せさせていただけませんか?(もちろん建造物です)
実はこの記事の閲覧数はブログで常に上位なんです
林道とは無関係なので心情的には微妙なんですが、興味をお持ちの方が多いのは事実です
私は勾玉通貨がとても気になります(ー_ー;)
蓼科仙境都市に興味をお持ちの方が他にもいらっしゃるようで、とても嬉しいです。
なにぶんわたしが小さかった頃のことで、なかなか具体的なことが思い出せませんで申し訳ありません。
天体室?のような施設で星を観察したり、2人乗りの自転車でサイクリングをしたこともありました。
勾玉は金額によって色が違い、とても綺麗で艶やかでした。
本来の趣旨とかけ離れた話をしてしまい申し訳ありませんでした。でも思い出すきっかけをいただけて幸せです。
建物の写真、探してみます。たくさんあると思います。
あやさん
天体室!?あのドーム型のやつでしょうか
ほんとに何でもありですね(^_^;)
確かにこの辺りは天体観測に適しているので綺麗に見えたでしょうね
写真楽しみにしています(^^)/
天体室…プラネタリウムですね!
私も、蓼科ソサエティークラブの会員でした。
そもそもは高島屋の得意先の人から進められた会員制リゾート地(富士コンサル 岡出社長)で、40年以上も前の話です。
自宅まで、高島屋の社員がやってきて、そこで確か175万円で会員になりました。
山一つのあちこちに名前とレンタル費の決められた建物が点在し、会員は気に入った建物を予約して、安価で泊まることが出来ました。
年会費は7万円ぐらいだったかな?
黒川紀章さんの設計した建物もあり、奥様の若尾文子さんと、よくいらしてました。
絶世期は、本当に楽園で…
朝、広場ではクラブの歌が流れ、子供たちはトランポリンで遊び、大人はテニスをしたり真向法や太極拳の先生と体操したり、
木彫りや絵画の教室にも無料で参加できました。
また、植物に詳しい先生と散策しながら木々の説明を受けたり、森の広場では自転車に乗ったりうさぎと遊んだり、長い滑り台などで遊び、
新しく出来たマンション風の建物にはプールもありました。
雨が降れば、その建物の1 Fが広い体育館のようになっていて、そこで遊べました。
夜にはプラネタリウムにゆき、星の説明を聞いて、蓼科の夜空の星を眺めたり・・・
子供たちには楽園でしたから、毎年1週間〜10日は行っていましたよ。
ミッドランドの階段下のミルクスタンドのソフトクリームが美味しかった!
夕食は不老苑という、囲炉裏がいくつもある古民家のようなレストランでニジマスの塩焼き、
またはマルコポーロというドームのような形をしたレストランで食事をしたり、食材を買って借りている別荘で自炊したりしました。
毎日、色々なイベントや教室開催のプログラムが広場に張り出されていて、子供たちと今日のスケジュールはどうする・何に参加したい?と相談しあって、日々を過ごしていました。
楽しかったことは、いくら書いても書ききれませんが、岡で社長がオーストラリアのゴールドコーストにもリゾートクラブを作ると言い出したあたりから経営が怪しくなり、ついに破綻しました。
こちらも子供達が成人したので、あまり利用することがなくなり会員をやめましたが、委託金は帰ってこないままです。
ま、あれだけ楽しんだので、仕方がないという気持ちもありますが。
あちこちに点在していた別荘は、それぞれの持ち主が建てたものであり、当初はそれを会員が選んで借りるというシステムでした。
でも、建物は経年劣化しますから、後から富士コンサルが建てたマンション風の建物やログハウス風の新しい建物に予約が集中し、
昔からの別荘は借り手がつかなくなって、持ち主と会社の間で争いになっていたようでした。
黒川紀章の設計したスタイリッシュな別荘や、絵本に出てくるような可愛い家がたくさんありましたので、
車でクラブ内をドライブしながら、来年はここに泊まらない?などと楽しい会話をした覚えがあります。
写真もたくさんありますので、もしご希望でしたらお見せできるものを探しましょうか?
きゃんさん、はじめまして(^^)
まずは、お礼を申し上げます
たくさんの情報をありがとうございます
40年も前の話なのにこれほど詳細に記憶されている事に驚きました
プラネタリウム、黒川紀章氏、不老苑での夕食、マルコポーロというレストランなど
体験した方ならではのお話が聞けて嬉しいです
中でも興味深かったのは別荘のシステムです
会員個人が施主となり、他の会員に貸し出すという形態は画期的だと思います
確かに、経年劣化の問題が落とし穴でしたね
手入れさえしていれば年季の入った建物は趣があって良いと思うのですが
それにしても経営が悪化したとはいえ、
175万円の委託金をあっさり諦められるきゃんさんを羨ましく思いました(^_^;)
このコメントの文章は記事本文に載せさせていただきます
お写真は是非掲載したいです
メールで結構ですのでお送りください
勾玉通貨や建造物など仙境都市ならではの画像があれば嬉しいです
多ければ多いほどやりがいがあります
楽しみに待っています。よろしくお願いいたしますm(_ _)m
t675.00@gmail.com
実はこの記事は非常に人気が高く、全記事でのランキングが17位です
直近一週間ではなんとトップ!、411人の訪問者があります
写真は毎年たくさん撮っていましたが、何しろ子供達が写っていますので、問題ないものを選んでみますね。
少しお待ちください。
きゃんさん
ひょっとしてこの時代の写真は紙ではないでしょうか?
お手数をおかけしますm(_ _)m
デジタル化などお手伝い出来ることがあると思いますので、
その際はご用命ください
t675.00@gmail.com
懐かしいお話ありがとうございました。
父が会員だったため、両親、兄妹、親戚達と行っていました。
とても懐かしい良い思い出です。
みゅーさん
こちらの記事も見られましたか?
仙境都市という楽園〜きゃんの想い出 2021.9.9
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2021/09/09/%e4%bb%99%e5%a2%83%e9%83%bd%e5%b8%82/
当時利用されていた方なら懐かしい映像ではないでしょうか
本当は怖い仙境都市
破産してもなお、富士コンサルから会員ダイレクトメールが届くのは、岡○がパート従業員1人雇っての仕業です
訴訟裁判では、私は知らない、聞いてない、指示もしていない、書類は残ってない、サイン捺印は部下が勝手にやってただけとすっとぼけ。後半は、出廷もしなくなり、雲隠れ。まるで、どこかの教祖様と同じ。
渋谷税務署も弁護士もお手上げでした。
武蔵○市の自宅は銀行に差し押さえ、逃げる岡○
委託金、年会費を持ち逃げして、新たな住処は青山の高級マンション。身辺警護は要塞並み
流れ付いた権利先は某広域指定○○団○○
追われる岡○、富士コンサル
自由の広場で真向法さん
当時は楽園だったようですが、色々と怖い事があったのですね
私は外側だけしか見ていませんので全然知りませんでした
勿論、楽しい楽園の思い出もありましたよ。むしろ、歯車が狂い始めるまでは、楽しい、雲海の楽園の思い出しかありませんでした。
今では当たり前となっているCATV がエリア内全ての客室に網羅されており、今日の数々のイベント予定が放送され、過去のイベントの様子も放映されていました。
大河原峠の茶屋から双子池、双子池林道を通って旧フロントまでの散策しました。
当時はまだ大河原峠の山荘も真新しくて、年々くたびれていく様子を見ては切なくなった記憶があります。
滝巡りツアーでは、鹿曲川林道を春日温泉方面に下って幾多の滝を探索したのも懐かしい良き思い出です。
今となっては廃道と化してますが、当時は地割れも皆無で、なんでこんなに綺麗な道なのに、誰も通行しないの?と子供心に感じたものです。
秋の紅葉シーズンの鹿曲川林道は絶景の一言でした。
他の方も言ってましたが、クラブ創生期はエリア内の通貨はマガ玉を模したもので、それをチェーンに引っ掛けられる作りになっていました。
その構造がくせ者でして、トランポリンの下にいくと、運動の衝撃で外れたマガ玉が落ちており、5000マガ拾った!とか親に報告した記憶も懐かしいです。
時が流れて、昭和の終わり頃ありから、旧フロントから新フロントにクラブの中心地が変わり始めてきました。
今振り返ってみると、旧フロント時代の10年間が一番楽しかったですね。
自然の中で楽しみながら、遊び、学ぶを体得させてくれたのが蓼科ソサエティクラブでした。
自由の広場で真向法さん
みなさん楽しいエピソードをお持ちですね
エリアを網羅するCATV。(これはこの記事の著者であるサムさんもおっしゃっていました)
是非見てみたいマガ玉通過。
それから鹿曲川林道。紅葉については私も同感です
走りながら、秋は絶景だろうな〜 と思っていました
滝巡りツアーが存在した事も判明しました
旧フロントから新フロントにクラブの中心地が変わり始めた・・
位置関係が把握できていないので想像でしかないのですが、
別荘の建造状況とも関係があるのではないでしょうか
クラブ内のマップがあればいいのですが。
双子池林道、大河原峠林道についての記事もありますのでご覧ください
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2018/08/14/%e5%8f%8c%e5%ad%90%e6%b1%a0%e6%9e%97%e9%81%93/
こんにちは、いつも返信をありがとうございますm(_ _)m
マガ玉なのですが、当時、換金せずに持ち帰ったのがあったのですが、現存はしてないと思います。
言葉の説明となってしまいますが、大きさは100円玉を半月状にしたもの。10000マガ、5000マガ、1000マガ、500マガ、100マガ、10マガと各単価ごとに色が違っており、数値表示の刻印がありました。
マガに切れ込みが入っており、それを玉状ネックレスにはめ込んで持ち歩く感じです。
朧気記憶なのですが、昭和60年頃にはマガは廃止になり、仙境都市専用プリペイドカードに変更になりました。
変更された理由は、精算に手間が掛かる、マガがチェーンから外れて紛失しやすい、会計の際に混雑するなどの理由からと聞きました。
当初、夏季限定オープンのクラブでしたが、やがて、秋の紅葉シーズン、GW、そしてスキー場オープンに伴い、冬場も宿泊可能となっていきました。
佐久からの蓼科スカイラインも未舗装でしたので、雪が積もると難儀した記憶があります。
滝巡りツアーの他に、双子池ハイキングツアー、トキン岩ツアーとかもありましたよ。
クラブマップは無料発行されてたのですが、これも現存してません。
20年間の記憶と当時の写真だけで書き連ねてますが、行かなくなって、25年近くは経過しているので、記憶違いはあるかと思われます。
因みに画像にある、スカンディアは昭和51年には存在していました。
確かに、元からあった戸建て別荘群の老朽化と、フロントの移動は大いに関係はあると思います。
双子池林道の記事を読んでて思い出したのですが、秋の連休シーズンには、キノコ狩りツアーなるもの開催してた時期がありました。
双子池林道を双子池まで歩き、キノコを袋に詰めて持ち帰り、専門家が食用できるか判別してくれました。
双子池林道と町道が合流した付近には、従業員宿舎があったのですが、そこは平成に入る前に解体されました。大河原山荘があった向かいあたりの場所です。
自由の広場で真向法さん
毎回本当に驚くのですが、皆さん記憶力が凄すぎます(@_@)
またまた詳しく書いていただいて感謝しています
プリペイドカード、冬場も稼働していた、さらに
スカンディアがS51には建っていた事実など新たに判明です!
おまけで双子池毒キノコ・・いや、キノコ狩りツアー
実はここのコメントを元に記事を書こうと思っています
画像はきゃんさんをあてにしています(プレッシャーかけてすみません)
それにはマップが不可欠と考えています
ネット上を散々探しましたが見つかりません
見取り図など情報をお持ちの方は是非お寄せください
よろしくお願いしますm(_ _)m
トリKさん
当時に無料配布されていたエリアマップと云っても、各戸建て別荘の名称が網羅されているものではなく、クラブ内の公共施設および富士コンサルが建てた宿舎施設のみが記載された簡易マップでした。
なので、富士コンサルが富貴の平エリアで営業を始める前から存在した個々の別荘群(現在廃墟化して話題の戸建て達)はエリアマップには記載されていませんでした。
あの程度のエリアマップならば、地図さえあれば、脳内記憶で作成は出来ますよ。
Googleマップにある『旧蓼科仙境都市』の表示はデタラメです。
スマホ、携帯、ネット環境が皆無の時代が、仙境都市の全盛期でしたので、ネット上に関連資料がヒットしないのが現実ですよね。
国営蓼科アソシエイツスキー場が営業していた頃は、佐久方面からの蓼科スカイラインは、常に除雪してました。今は冬季通行止めらしく、むしろその情報に驚いたくらいです。
ご存知かとは思われますが、鹿曲が川林道は、元々は無料道路(全線完全舗装されていた)でして、ある年からいきなり有料道となりました。
スカンディア群の建っていたS51年と記憶しているのは、私が初めてクラブ会員になり、宿泊した戸建て別荘がスカンディアと隣接していた場所にあったからです。
毒キノコは、、、ありましたよ(笑) 選別して貰った時に、こりゃー食べたら危ないよと言われたものもありましたからね
自由の広場で真向法さん
まともなマップはそもそも存在していませんか、作るしかないですね
鹿曲川線が途中で有料化になったのは山行がさんのブログで知りました
道が綺麗なら観光道路と言えなくもないでしょう
少しばかりミステリアスなのか、この記事の人気は凄いですね~
驚きで御座います・・・
黒川紀章氏の名前が出ましたが、偶然ですが黒川氏と、うちの親父は古くからの友人でした。
豊田スタジアムの建設時も、うち親父と一緒に仕事してましたので、今度親父に会ったら仙境都市について何か知らないか聞いてみます。
もしかしたら、建設に関わってる可能性があるかも?
ザビエルさん
きっと当時は話題の避暑地だったのでしょう
最近私は”まがたま通過”が見てみたくて仕方ありません(^^)
それにしても黒川氏とお父様がお知り合いだとは驚きです
建築にはまったく素人の私でさえお名前だけは知っている著名人です
世間は狭い・・
Kさん
ここのコメント欄は、凄く面白いですね~
下手な小説や週刊誌の記事より、面白いと思います。
コメント欄で黒川氏の名前が出たので、ハッとしました。
黒川氏は都知事選にも出てたので有名ですよね~
余談ですが・・・
何でうちの冴えない親父と、友人かも疑問でしたが、親父に以前聞いたら一級建築士でもデザインをする人と、構造計算をする人と違いが有るそうで、圧倒的に多いのがデザイン事務所で黒川氏は建築デザインが専門なんだとか。
建築事務所で多いのはデザインがメインで、
特殊建築の構造計算の専門家はとても少なく貴重な存在らしく、うちの親父が水族館、動物園、イベントホールなどの特殊建築の構造計算の専門家なので、意気投合して仕事を出して貰っていたとの事でした。
デザインは自由に出来ますが、耐震構造にするには内部の骨組み構造や材質を考えないといけないので、特殊な構造計算が必要だそうです。
豊田スタジアムとかは屋根が開くので、構造計算や施工管理が大変だと親父がぼやいてました。
最近は通常のマンションの計算とかは、アネハやヒューザーの耐震偽装事件に見る通り、構造計算の専用ソフトが有るそうで、余り出番は無いそうです。
余談失礼しました。
ザビエルさん
お父様は建築家でしたか、いろんなところに縁があります(^^)
はじめまして。
蓼科仙境都市について調べていたら
こちらに辿り着きました。
祖父が会員で
もう30年くらい前ですが
こちらに何度も足を運びました。
児童館の様な建物の前にある
木で出来たブランコが
当時からボロボロで
かつ切り立った場所に設置されており
とても怖かった事を覚えています。
また
朝起きて玄関を開けたら
目の前にカモシカが居た事もありました。
色々な思い出があったので
今年の5月に女神湖から
バイクで向かいましたが
数年前の台風の影響で
道が封鎖されており
断念しました。
次回は
佐久方面からリベンジしたいと
思っております。
匿名さん、はじめまして(^^)
またまた会員の方からので連絡でとても嬉しいです
きゃんさんから当時の写真を提供していただいたので公開しています
ぜひご覧ください
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2021/09/09/%e4%bb%99%e5%a2%83%e9%83%bd%e5%b8%82/
蓼科スカイラインは5月は通行止めでしたが、現在は解除されているはずです
一応お調べになってからお出かけください
> 当時からボロボロで
90年初頭に立てられた下側のホテル、体育館的な施設、図書室、子供向けプールエリアに移設された、上側の旧センターフロント上の森の公園エリアに有った魚の形のブランコですねかね。
勾玉型の内部通貨「マガ」やまっこうほう体操等々…懐かしい限りです。
アルバイト失踪云々は、退屈に耐えきれなく下山という話はよく聴きました。配属先の当たり外れのや食事の不満とか、
警備も当時にしてはしっかりしていた記憶がありますし、酔っ払って警察沙汰もありましたよ‘80年代にも。
バブル弾けて利用者減でレストランや施設閉鎖も相次ぎ、なのに似合わないオーストリア投資で、愛想を尽かした会員も少なくなかったと聞きます。
とーりすがりさん
元会員さんでしょうか、かなり前の話ですね
アルバイト失踪の原因が退屈とは意外でした
やっぱり、勾玉通貨は一度見てみたいですね(^^)
唯一残ってる紙資料に勾玉をクビにかけている写真が1枚あったので。
資料自体解像度荒いので申し訳ないです
https://tadaup.jp/loda/0619160637479895.jpeg
https://tadaup.jp/loda/0619160639938964.jpeg
とーりすがりさん
貴重な情報をありがとうございます。とても感激しています\(^o^)/
念願の勾玉通貨が見れました!こんな感じだったのですね、想像よりも大きかったです
そしてパンフレットも面白いですね。贅沢さに溢れています。まさに楽園ですね〜
可能ならば、このパンフレットの全体も見てみたいです(^^)
いただいた写真は「仙境都市という楽園〜きゃんの想い出」の記事に載せさせていただきました
ちなみに今年も「コロナ」を理由に、宿泊入場受け入れ断念との事です、蓼科仙郷都市。
とーりすがりさん
ん!?現在でも稼働しているのですか?
会員ではありませんが、数年前から毎夏に蓼科仙境都市の変化を記録しています。
映像は、2~3年前に空撮したものです。
建物の名称等合っていないところもあるかもしれませんが、ここだけ公開してみます。
よろしければご視聴ください。
https://photos.app.goo.gl/VwEokPcCic1ETpwL8
さろっとさん、はじめまして
動画ありがとうございます。とても、とても楽しめました
やっぱり空撮は位置関係が分かって面白いですね(^o^)
特に興味を惹かれたのは、すっかり木々が成長したゲレンデ周辺と天体観測所です
観測塔半分崩壊してしまったようで、全く無関係の私でもなんだか悲しくなりました
初めまして
かれこれ30年以上前学生の頃夏休み1ヶ月間アルバイトでスタッフをしていました
イベント係やらケーブルテレビでアナウンス係やら色々楽しかったです
オーナーが大変厳しい方でしたね……本当に懐かしいです
なつかしこさん、はじめまして(^^)
またまた関係者の方からのコメント。嬉しいです
バブル期なので時給も良かったでしょうね
皆さんがどこからこの記事にたどり着くのか、謎です。
定期的にコメントが来るので、改めて都市の存在感を感じています
懐かしい、1冬だけコックとして働いてましたww
つまらない所です
服部半蔵さん
またまた当時のスタッフさんからのコメント。ありがとうございます(^^)
大変古い話ですが、当時のエピソードや写真などあればお寄せいただけると嬉しいです
記事に追記したいと思います